宮崎県小林市東方にある内木場城です。
内木場城は1571年に伊東加賀守祐安が入り大改修したといわれます。伊東加賀守は翌年の木崎原の戦いで伊東軍3000の総大将として出陣しますが、300の島津軍に大敗し伊東加賀守自身も戦死しています。
内木場城の位置。城の周囲を浜ノ瀬川が取り囲むように流れる要害堅固な場所に築かれたのがわかります。近くにはちんこ岩で有名な陰陽石があります。城は本丸と東出丸からなり、本丸と東出丸の間は空堀で区切られていたそうです。現在は畑地として1つの曲輪のようになり遺構は見られません。また西側の一段低い曲輪は西出丸跡といわれます。
内木場城の入口。
内木場城の標柱。
内木場城の登り道。
東出丸あたり。
内木場城の本丸。奥は東出丸。
本丸。左側の一段低い場所が西出丸あたり。
西出丸あたり。
野首城や小林城とともに伊東氏のえびの方面に対する前線の城でした。