室町時代に串間を約120年間治めた野辺氏の墓です。榎原と日向大束の間の古大内にあります。
1334年 野辺久盛が櫛間院(現在の串間市)の地頭となり、武蔵国深谷(現在の埼玉県深谷市)から串間に移り住むと、久盛は本拠として櫛間城を築きます。
野辺氏は久盛から盛忠、盛房、盛久、盛在、盛仁と串間で6代続きますが
1459年 野辺盛仁のときに大覚寺義昭事件に巻き込まれて島津氏により串間を追われます。
古墳のようなもっこりとした小山の上に野辺氏累代の墓があり、現在は野辺八幡宮として祀られています。
野辺氏の墓がある古大内は3代目の野辺盛房が虎渓庵を建てて隠居した場所だそうです。
野辺氏累代の墓。
野辺氏累代の墓。
標柱。
野辺八幡宮の鳥居。
野辺氏の墓の全貌。
野辺氏の墓の位置。榎原〜日向大束の国道220号線の古大内地区にあります。