宮崎県東諸県郡国富町本庄にある義門寺は、1587年豊臣秀吉の島津征伐の際に、日向方面の総大将となった豊臣秀長が本陣を置いた場所といわれています。そのため総陣または豊臣秀長総陣として宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書に記載されています。そして山門脇には豊臣軍本営地址の立派な石碑が建っています🤗
義門寺は1346年、綾城を築いた細川小四郎義門の曾孫である義康が、義門を供養するために建てたと伝わります。
義門寺の山門。
義門寺。
義門寺の本堂。
豊臣秀長が出した禁制も残されているとのこと。
義門寺石塔群。中世の墓石が並びます。
大きい五輪塔2つは曽我兄弟の供養塔という伝承があります。
伊東塔のような墓石。
義門寺石塔群の説明板。
義門寺の位置。国富市街地の台地上にあります。
宮崎県で「豊臣」の史跡が見れるとこはほとんどないから貴重ですね。国富町はあまり知られてないけどすごい史跡が結構残っています。