国富町の本庄中学校は伊東四十八城の1つ、本庄城があった場所といわれています。本庄城は鎌田城、鎌田ヶ城とも呼ばれ、城主は伊東氏家臣の川崎兵部丞でした。
上写真は南側を流れる本庄川越しに見た本庄城の丘陵。
本庄城の位置。
本庄城のあった本庄中学校周囲の地形。城跡を周りこむように国富〜綾の道路がUの字に通っています。
城跡に建つ本庄中学校。
本庄中学校。
本庄中学校の東端。土塁があったように見えなくもない。
外側から見ると城塁に見える。
南東隅の部分。
本庄中学校の北側。北の台地を分断する空堀があったといわれています。
中学校北側は地形が引くなっている場所もあります。
東側の道路に出る道。
本庄城の東側。道路から見ると城跡は高台になっているのがわかります。
本庄中学校南側にある宗久寺の山門。
宗久寺。ここも城域でした。
南側から見た本庄城の高台。
中学校周囲の地形に城の名残を感じながらの散策でした😌