ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

後藤貴明ゆかりの史跡(佐賀県武雄市)

佐賀県武雄市にある後藤貴明ゆかりの史跡を散策してきました😊

光明寺にある後藤貴明夫妻の墓。

光明寺の山門。光明寺は後藤貴明の隠居した館があった場所になります。

光明寺

後藤貴明が開基した貴明寺。

貴明寺の本堂。

後藤貴明公の木像。貴明公の死後、戦国時代に彫られた貴重な木像を住職に見せていただき感動しました😍

後藤貴明公木像の修復前の写真も飾られてました。

説明板。

後藤貴明は1534年に長崎県大村市を本拠とする大村純前の子として大村に生まれますが、大村氏は有馬氏から純忠を養子にもらっていたため、貴明は武雄の後藤氏に養子に出されます。純忠は日本最初のキリシタン大名となる大村純忠で、後藤貴明は生涯、大村氏を恨み長崎にたびたび攻め入りました。

1560年、後藤貴明は実子がいなかかったため平戸の松浦隆信から惟明を養子にもらいますが、のちに実子である晴明が産まれたため1574年に惟明が反乱を起こし、後藤貴明は佐賀の龍造寺隆信の援軍を得て、惟明を破りました。

その後、龍造寺隆信と和議を繰り返しながら離反し何度か戦いますが、最後は隆信の圧力に屈し、隆信の三男家信を養子に迎え入れ、後藤氏は龍造寺氏の傘下になります。後藤家信に家督を譲った後藤貴明は現在光明寺のある場所に隠居し、1583年に50歳で亡くなっています。