熊本県球磨郡錦町木上東にある岩城(木上城とも)です。平安時代末期に木上地頭だった平河義高が築きました。平河義高は相良氏が遠江国相良荘から人吉に入国する際に協力しますが、後に謀反の疑いで平河一族は相良氏に討たれてしまいます。戦国時代の岩城の城主は相良義陽の家臣 窪田越後でした。
岩城の地形図。岩城は木本城と前城の2つの曲輪から構成されています。本丸にあたる木本城には木本神宮が鎮座しています。前城の曲輪は畑になり窪田越後一族の墓があります。
木本城の曲輪。
相良長毎公(相良13代)の創建といわれる木本神宮。
木本城。
木本城の曲輪からの眺め。
地形図Aのあたり。
Aから見た木本城の曲輪。
Aから見たB方面の曲輪の切岸。
地形図Bのあたり。
前城の曲輪。
前城南側の切岸。
木本神宮のイチイガシ
木本神宮の説明板。
前城にある窪田越後一族の墓。
窪田越後の墓。
窪田越後の墓石の「昌山勝繁」の戒名。
窪田越後の墓の説明板。
岩城の位置。