熊本県球磨郡多良木町にある上相良氏の本拠地だった鍋城です。上相良氏は相良頼景が源頼朝より多良木荘を与えられたのが始まり。相良頼景の子 相良長頼は源頼朝に人吉荘(熊本県人吉市)を与えられ下相良氏と呼ばれます。本家である上相良氏と下相良氏は南北朝時代から争い、戦国時代に下相良の相良長続は多良木荘に攻め入り上相良氏の頼親、頼仙兄弟を討ち取り、上相良氏を滅ぼします。
鍋城の縄張り図。南側の登口から登ったら山全体が荒れていて城の中心部に辿り着くのに大変でした。苦労して登ったわりに丘陵上は畑などに使われた形跡がありどこまでが遺構か判然としませんでした。
南側の登口。
登ってE地点の手前にある石垣。民家で使われたものだろうか。
E地点。虎口のような形状になっている。
H地点の段曲輪。
さらに上の腰曲輪。
さらに上のG地点の腰曲輪。
G地点の腰曲輪から上の曲輪への登り道。
G地点の上の腰曲輪。この腰曲輪の一段上がF地点の曲輪。
F地点の曲輪。
F地点の曲輪の東側を通る空堀。
E地点の曲輪の石垣。畑で利用するために造られた石垣の可能性あり。
EとDの曲輪の間の堀切。かなり浅くなっている。
EとDの曲輪の間の堀切。
Dの曲輪の入口。
Dの曲輪にある牛舎跡。
Dの曲輪。
DとCの曲輪の間の堀切。
Cの曲輪。
Bの曲輪。
Bの曲輪。
Bの曲輪にある土塁らしきもの。
Aの曲輪の西側の切岸。
Aの曲輪。丘陵の最高所にあり本丸と思われる。
鍋城の位置。