鹿児島県曽於市大隅町中之内にある手取(しゅじゅ)城に行ってきました。手取城は平信基の五男 岩川信家により築城されたといわれています。岩川氏は南北朝時代に繁栄しますが、1359年島津氏久が国合原で相良定頼に負けた際に岩川氏は氏久の援軍を拒否したため、氏久に手取城を攻め落とされ佐多から屋久島へ落ち延びています。
手取城の縄張り図。
手取城の入口。
曲輪4。
曲輪4と曲輪3の間の堀切。
堀切から深く落ちる竪堀。
曲輪3西側の切岸。
曲輪3の虎口。
曲輪3。三方を土塁が巡ります。
曲輪3西側の土塁。
曲輪3南側の土塁。
曲輪3東側の土塁。
曲輪3東側の土塁外側と腰曲輪。
曲輪3と曲輪2の間の堀切。
曲輪3と曲輪2の間の堀切。
堀切から見た曲輪3の切岸。
曲輪2。
曲輪2と犬走り状の通路。
曲輪1の切岸。一番東端の曲輪になります。
曲輪1手前の堀切(西側)。
曲輪1手前の堀切(東側)。
曲輪1切岸と標柱。切岸は急傾斜で高さがありますがここを登り曲輪1の内部に入ります。
曲輪1。
曲輪1から見下ろす。
手取城の位置。