宮崎県えびの市内竪にある松尾城は室町時代の応永年間に吉田郷の拠点として築かれました。西に稲荷神社があったことから稲荷城とも呼ばれています。
1343年に日向国守護代の畠山直顕の命を受けた北原兼命の軍勢が吉田郷の地頭だった坂氏一族が籠もる松尾城を攻め、坂円覚坊が戦死したと「相良家文書」の記録にあるそうです。戦国時代に入ると北原氏の吉田郷の拠点の城となります。北原氏没落後は真幸院に入った島津義弘の家臣 鎌田尾張守父子が松尾城主となりました。
1567年島津義弘が菱刈氏を攻めたとき、この松尾城付近に真幸院の兵を集めて出陣したといわれています。
松尾城の城山はシラス台地の崖に守られた要害で虎口、曲輪、土塁が明瞭に残されています。城山の最高所である曲輪①には崖側に分厚い土の壁があります。曲輪①から下を見たら絶壁なので怖かった😳 城山の北側にある独立したシラス台地の曲輪⑥、⑦も絶壁で登ってから降りるのに足がブルブルした😳
松尾城の城山の入口。民家の庭先にあります。
入口から入ると空堀のように両脇は土の壁になっています。入口方面を見たところ。
曲輪②の切岸。
虎口への道。
虎口。
虎口内部。
虎口入ってすぐ左にある曲輪②。
虎口入って右に行くと曲輪③。
曲輪③の崖側には土塁が巡ります。
曲輪③の土塁。
曲輪③から見た曲輪①の登り口。
曲輪①の土塁。
曲輪①と右側にある分厚い土の壁のような土塁。
正面から見た曲輪①の土の壁のような土塁。
土の壁の土塁上から。左は崖。
曲輪①の西端。
腰曲輪⑤から見た腰曲輪④と曲輪①方面。段々になっています。
城山の崖側から見た景色。
城山の背後である北側は断崖絶壁になっています。
城山の北側麓にある社。城山の上にあったのをこの位置に移したそう。
城山の北側にある曲輪⑥を曲輪⑦から見たところ。
曲輪⑥の頂上。
曲輪⑥から見た北側の景色。正面中央の山は丸之尾城。
曲輪⑦。
曲輪⑦の頂上。
西側から見た松尾城(右の山)と杉尾城(左の山)。
松尾城の位置。京町温泉の北側にあり、杉尾城、丸之尾城とともに三位一体の城であったと思われます。