房総の雄、里見義堯が一時拠点としたお城。
画像は宮本城のあった城山でしゅ。宮本城の初代城主は里見分家の里見実堯でした。実堯は天文の内乱で里見本家の里見義豊に殺害される。里見義堯(実堯の子)は父の仇である本家の義豊を討ち里見本家を相続して、久留里城に移るまでの間、一時的にこの城を居城としました。
山頂の本丸跡にある宮本城の碑。ここからは東京湾が見えて眺めがいいです。本丸にたどり着く前には腰曲輪が段々に配置され北側の防御を厳しくしています。
宮本城の本丸跡。案内板も設置されかなり広いです。宮本城の本丸東側の東尾根方面は比較的なだらかな地形のため、堀切や竪堀などで防御が厳重になっています。
東尾根を遮断する堀切。堀切はウチが確認しただけでも3箇所ありますた。堀切を見に東尾根の方へいくには整備されていないので結構大変。木の枝を振り回しながら草を掻き分けていく感じでした(´Д`;) 斜面が崩落してロープにつかまっていくとこもあったり危険だったな。でも、ひととおり宮本城の遺構を見れてよかった。
城主:里見氏 場所:千葉県南房総市富浦町大津