日南市塚田にある巡り尾城に登ってきました。塚田と隈谷の境界が介する山頂に築かれた巡り尾城。伊東氏に攻められた飫肥城主島津氏の援軍として、球磨地方から出陣した相良為続(人吉城主)の軍勢が布陣したことから、隈陣とも呼ばれています。
巡り尾城(隈陣)の縄張り図。日南市教育委員会の歴史まちあるきマップより。
巡り尾城はきんかん畑に造成されているので、山頂までは軽トラが通る道が舗装されており、チャリで登ることができました😆
山頂付近から見た本丸。
巡り尾城の外側の城塁。
城塁には石積があり、丸い石が使われています。
遺構かは不明。
巡り尾城(隈陣)の本丸。
きんかん畑の造成時に台地の大部分が削られ、上の写真の右側のみが残されています。きんかん畑のおじいちゃんに詳しく案内していただきました。
以前は一面が右側と同じ高さの台地であったそう。
わずかに残る本丸の高台には池があります。池を造成する際、昔の皿がでてきたそうです。
池の横には土塁のような地形。
土塁の上に最高点を示す三角点があります。
土塁の下には帯曲輪。
隈陣の三角点から見た北の飫肥方面の景色。
南は木々が生い茂る前は、細田から南郷まで見渡せたそうです。
北の尾根ルートから見た隈陣。
隈陣の側を飫肥〜南郷に至る街道が山の中を通っており、飫肥の殿様(伊東家)が南郷に行くさい通った道と伝わっているそうです。
案内していただいたきんかん畑のおじいちゃん、おばあちゃんたちに感謝の城攻めになりました(о´∀`о)