宮崎市大字鏡洲にある丸野城に行ってきました。電波塔のある場所が丸野城の主郭。丸野城は比較的新しく見つかった城で文献にも出てこない城跡です。城主や築城者もわかっていません。城名も不明なため「丸野城」の名は小字からあとでつけられたそうです。そんな謎の山城ですが、遺構がかなり良く残されております!しかも草が刈られ遺構が見やすかったです😆
丸野城の位置。木花から加江田渓谷方面に6キロほど行った鏡洲の城山に築かれた山城です。
県道339号塩鶴木崎線から丸野城への入口。丸野城の登口はこの道をずっとあがったところにあります。
入口の脇には丸野城の標柱が建っています。
丸野城の縄張り図。主郭東側には腰曲輪の曲輪Aと曲輪Bがあります。曲輪Aと曲輪Bは犬走り状の細い通路でつながり斜面には竪堀があります。主郭西側には空堀があります。
丸野城の登口と説明版。
丸野城の説明版。
丸野城の登道。山頂にあるNTTの電波塔へいくために造られた道であり、山頂までまっすぐ。登道の途中で主郭西側の空堀が見れます。
主郭西側の空堀(登道から見て左方向)。
主郭西側の空堀(登道から見て右方向)。いい感じで残ってます。
空堀あたりの登道から見た主郭。
山頂の主郭。NTTの電波塔が建っています。
主郭は二段になっています。電波塔を造成したときのものですかね。
主郭から曲輪Bを見下ろす。
曲輪Aから見た主郭の切岸。
曲輪Aにある土塁。
曲輪Aの土塁と主郭切岸で堀切のようになっています。
主郭の切岸。
曲輪Aと曲輪Bをつなぐ犬走り状の細い通路。(曲輪Aから曲輪B方面を見たところ)
通路の右側斜面にある窪みは竪堀。
竪堀を別角度から。
曲輪B。
曲輪Bの脇から麓の方まで下る道がありました。
最後に丸野城の主郭から東方面の景色。遠くには日向灘が見えまする。
戦国時代にこのあたりは伊東氏と島津氏の争いが繰り広げられ、近隣には車坂城や今江城などの城跡があります。丸野城の近くには飫肥街道が通り、伊東氏が飫肥城を攻めるために通った道であることから、丸野城は伊東氏のつなぎの城として狼煙をあげたりするのに使われた城だと考えることもできますね。