梶山城は庄内十二外城の1つで、1599年の庄内の乱では伊集院方の野辺彦市、野辺金右衛門、谷口丹波、谷口伊予が城を守りました。
梶山城の歴史は古く、1394年今川方の軍勢が梶山城を攻めた際に、北郷久秀(北郷家3代)、北郷忠通兄弟が梶山城の援軍に駆けつけ討死しています。伊東氏が三俣院を領したときに伊東三俣八城の1つとなった時期もありますが、後に北郷氏の城となりました。
梶山城の縄張り図(宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書より転載)。東西に長い丘陵全体に曲輪が広がる大規模な山城です。曲輪1は本丸になります。
梶山城の登口にある梶山城の標柱。
本丸の西側にある堀切。
本丸の西側にある堀切を反対方向から見たところ。
曲輪2あたりから見た本丸の切岸。
本丸の切岸と曲輪2。
本丸の切岸と曲輪2。
梶山城の本丸。
本丸。
本丸から見た曲輪3。
本丸東側の大堀切。
梶山城本丸からの景色。