島津義久が舞鶴城に移るまでの10年間居城とした富隈城です。野面積みの大きな石垣が住宅地に残ります。島津義久は豊臣秀吉の九州征伐で降伏したあと富隈城で隠居し、庄内の乱や関ヶ原の戦いの際もここにいました。関ヶ原から島津義弘が帰国すると、義久はこの城で義弘と再会したといいます。
富隈城の地形図。大きく北と南の2つの曲輪に分かれています。北の曲輪には稲荷神社と物見の小山があり、南の曲輪にはNHK受信施設があります。
南の曲輪①の石垣。
①の石垣を近くから。
南の曲輪の開口部②にある石垣。
南の曲輪③の石垣。
南の曲輪の東側の石垣。
北の曲輪④の石垣。
北の曲輪内部。
稲荷神社の階段と左側に富隈城跡の城址碑。
富隈城跡の城址碑。
北の曲輪にある稲荷神社。
北の曲輪内にある⑦の石垣。
北の曲輪にある物見の小山。
小山の登道。
物見として利用された小山の山頂⑧。
小山の山頂⑧と南側に見える桜島。
物見の小山山頂からの眺望。南の曲輪にある大きなNHK受信施設が見えます。
北の曲輪⑤の石垣。
南の曲輪⑥の石垣。
説明板。
富隈城の位置。