鹿児島県曽於郡大崎町假宿にある大崎城に行ってきました。
大崎城は1577年に島津氏家臣の比志島美濃守国守が大崎の地頭(領主)となり、大崎郷を支配するために築いた城です。
現在大崎城のあった台地は大部分が大崎小学校や宅地になっています。大崎町教育委員会の史跡ガイドマップ「おおさきの歴史を旅してみませんか」(上の図)には市街地に残る大崎城の遺構と位置が詳細に記載されており散策するのにとても便利でした😌
比志島氏時代の天守があった曲輪と堀切。曲輪には大崎城跡の標柱が建っています。右側に下っている道路は堀切の跡になります。
曲輪の角部分に建つ大崎城跡の標柱。曲輪内部は民家になっています。
天守曲輪北側の堀切。道路になっていますが堀切の名残はありますね😌
大崎城の本丸。台地の中でも一番高い部分で、現在畑になっています。
大崎城の本丸下の曲輪。奥の森が比志島氏時代に天守があったといわれる場所です。
本丸北側の堀切。
本丸の南側にある大崎小学校は江戸時代の大崎地頭仮屋の跡です。背後の山は本丸。
小学校前に建つ地頭仮屋の跡の案内板。
大崎小学校の南側には昭和40年代まで城山と呼ばれた山があり、2つの堀切で北城、中城、南城の3つに分かれていたそう。上写真の小学校の校庭の一角に北城の山がありました。手前の道路は堀切跡。
北城と中城の間の堀切跡。左が北城跡、右が中城跡。いまでは両脇が山だったのが想像できない。
中城と南城の間の堀切跡。左が南城跡、右が中城跡。こちらも堀切跡が道路となり面影を想像するのは難しい。
南城あたりの道は山があった輪郭に沿って曲がっています。
南側からみた南城跡の丘陵。
大崎城の北側にある比志島氏時代の地頭仮屋跡。奥にみえる民家の場所にありました。
民家に残る石垣。この石垣が地頭仮屋の遺構なのかは不明。
地頭仮屋跡に建つ民家を囲む石垣。枡形虎口にも見えますね。
史跡ガイドマップ片手に小学校や宅地になっている場所に堀切などの名残を探すというマニアな城攻めでした😆