ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

務志賀軍営(宮崎県延岡市)

宮崎県延岡市無鹿町にある務志賀軍営です。1578年に大友宗麟が縣の土持氏を攻めた際に本陣を置いた場所です。

妻耶神社の登口にある大友宗麟陣屋跡地の標柱。

妻耶神社の鳥居。

標柱と神社の階段。

妻耶神社。

妻耶神社の階段から見た北川。風光明媚な場所でした。

妻耶神社から見える丘陵。ここに本陣があったと現地の標柱には載っていました。

無鹿の説明板。

無鹿バス停。

日向の伊東氏が島津氏に敗れ、国を捨てて豊後の大友宗麟のもとへ逃れます。大友宗麟は伊東氏の領地奪回という大義名分をもとに日向に侵攻。もともとは日向国キリシタン王国にしたかった大友宗麟、本陣を置いた場所の地名をポルトガル語の音楽を意味する「MUSICA」になぞらえ務志賀にします。現在は務志賀から無鹿に漢字が変更されています。日向侵攻の最初のターゲットとなったのが縣(現在の延岡市)を治める松尾城の土持親成でした。(島津氏に内通したため)大友軍は縣に入ると土持氏の領内の寺社仏閣をことごとく破壊し焼き払って松尾城を攻め落としますが、高城川の戦い(耳川の戦い)で島津氏に大敗し、大友宗麟は急ぎ撤退。宗麟の理想郷は終焉を迎えます。