ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

龍相城(鹿児島県大崎町)

鹿児島県曽於郡大崎町にある薬丸弾正兼持が守将だった龍相城(竜相城)です。1469年に肝付兼光(肝付12代肝付兼忠の三男)が龍相城の前身である大崎城を築きます。肝付兼光は肝付本家を離れ島津忠昌の配下になったため子の兼固のときに溝辺→加治木→喜入と領地が移動になります。この系統の肝付氏から後に幕末に薩摩藩で活躍する小松帯刀が出ます。戦国時代に龍相城は肝付兼続の傘下となり、薬丸兼持が守将となります。薬丸氏は肝付一族。薬丸兼持の父、薬丸湖雲は日南市南郷町潟上にある湖雲ヶ城の城主。1556年 島津忠親(飫肥城主)が大軍を率いて大崎に攻め込むと肝付方は龍相城前方の椎ヶ島で迎え討ちますが、300人の犠牲が出ます。龍相城の守将 薬丸兼持も大野出羽守との一騎打ちで戦死してしまいます。この龍相城の薬丸氏の子孫が「やっくん」こと薬丸裕英だったりします😌

上写真は龍相城のある後迫台地、手前は椎ヶ島古戦場。

龍相城の縄張り図。大崎町教育委員会の史跡ガイドマップ「おおさきの歴史を旅してみませんか」より転載。龍相城のあった後迫の丘陵は現在大部分が宅地や畑となり遺構はあまり残っていません。城跡の名残を見つけるため丘陵を散策してきました😌

龍相城の本丸跡。

土塁や堀割への入口。

右側が本丸、左側の林の中に土塁が残ります。まっすぐ進むと堀割に出ます。

土塁。

龍相城の堀割。藪になっています。

藪の中には立派な堀割があります。

城内にある神領古墳群の10号墳。

大崎城本丸近くの堀割。

大崎城の本丸跡。道路が分断しています。

大崎城の本丸の丘陵の遠望。

井出田城の本丸跡。

井出田城の本丸の丘陵。

龍相城の位置。