鹿児島県鹿屋市大姶良町にある大姶良城に行ってきました。大姶良城は内城を中心とした12城から成りその規模は肝付氏の高山城をしのぐといわれる山城です。古くは禰寝院北俣の領主だった富山氏が居城とします。富山氏の子孫は大姶良氏、横山氏、志々目氏、浜田氏に分かれます。南北朝時代になると肝付、富山一族、祢寝氏、楡井氏の諸勢力が大姶良城を巡って争い、最終的には島津氏6代 島津氏久が城主となり、島津氏7代 島津元久もこの城で生まれています。1530年肝付兼興は大姶良城を攻略し、大姶良城は肝付氏の家臣 橋口但馬守が城主になりました。
大姶良城の地形図。12城から成る大姶良城もいまは5城が残るのみ。内城がどこの曲輪を指すのかは不明です。あまり整備されておらず全体的に藪はすごいですが、シラスを分断したダイナミックな堀切、土塁、虎口など見応えある遺構が残り、素晴らしい山城でした!!
曲輪①の切岸。ここから上に上がります。
傾斜がかなり急でした。
曲輪①内部には祠が祀られています。
曲輪①西側の土塁。
曲輪①北側の腰曲輪。
北西から見た曲輪②の切岸。
曲輪②と曲輪①の間の堀切。
曲輪②と曲輪③の間の堀底道を利用した虎口。
曲輪②。
曲輪②西側の土塁。櫓台のような分厚さがあります。
曲輪③。
曲輪③と曲輪②の間の堀底道を利用した虎口(東側)。
曲輪⑤と曲輪③の間の堀切。
曲輪⑤と曲輪②の間の堀切。
曲輪②と曲輪④の間の堀切。
曲輪④。
曲輪④北側の土塁。
曲輪④東側の土塁。
曲輪⑤入口。
曲輪⑤虎口。
曲輪⑤南側をめぐる土塁。
説明板。
大姶良城の位置。