鹿児島県鹿屋市輝北町市成にある垂野城に行ってきました。垂野城は市成氏の居城であり市成城とも呼ばれています。市成氏は南北朝時代に島津貞久により滅ぼされ、領主は山田忠経、肝付兼続、島津征久、伊集院忠棟と変遷し、1614年に敷根立頼が入ります。敷根から垂野城に入った敷根氏は土岐氏の流れを汲み、やがて市成島津氏となり市成郷を治めます。
垂野城の地形図。シラスの丘陵を利用した城で全体的に藪となっていますが遺構はキレイに残っており大規模な堀切や曲輪など見ごたえがある山城でした。特に曲輪③の丘陵は二重の横堀がシラスの丘陵上をめぐり今までに見たことのない珍しい縄張りでした😳 曲輪③東側の④、⑤は③の細尾根から降りてくのが危険そうだったので調査はしていません。①西側にも丘陵があることから大きな山城だったのがわかります。
南西から見た曲輪①の丘陵。
曲輪①切岸と西側の堀切。
曲輪①。
曲輪①にある虎口状の地形。
曲輪①西側の土塁。西側の堀切に面して分厚い土塁が築かれています。
曲輪①西側の土塁。
東側の曲輪①と曲輪②の間の堀切からの曲輪①への登り道。
曲輪①と曲輪②の間の堀切。
曲輪②。非常に狭いです。
曲輪②東側の堀切と土橋のような地形。
曲輪③と曲輪②の間の堀切。
曲輪③の入口。
1つ目の横堀手前の曲輪。左側は1つ目の横堀。
曲輪③二重横堀の1つ目。
二重横堀の1つ目。
二重横堀(1つ目)の北方向を見たところ。
二重横堀(1つ目)の南方向を見たところ。
二重横堀の真ん中にある曲輪。
二重横堀の2つ目。
二重横堀(2つ目)の南方向を見たところ。
二重横堀(2つ目)の北方向を見たところ。
2つ目の横堀からさらに西方向に横堀が続いています。
西方向の横堀から2つ目の横堀方向を見たところ。
曲輪③。
垂野城の説明板。
登見の丘公園から見た垂野城。
垂野城の位置。