長崎県諫早市高城町にある西郷氏の居城、諫早城に行ってきました。
諫早城は高城とも呼ばれ、戦国時代の1478年頃に伊佐早氏を敗り諫早地方を統一した西郷尚善によって築かれたといわれています。西郷氏は尚善から純久、純堯、信尚と4代続きますが、1587年豊臣秀吉の九州征伐に参陣しなかったため滅亡の憂き目に合います。このとき長崎県内の戦国武将で秀吉に従わなかったのは諫早の西郷氏のみ!かっこいいですよね✨
諫早城の桜馬場。大手門の近くに設けられた武者だまりという広場です。
諫早城の大手口。大手門があった場所と伝わります。
大手口を登った先にある諫早城の折坂虎口。
諫早城の東の丸。大手口から登ってきた敵を迎えうつための曲輪です。
東の丸から見た本丸の切岸。
本丸への登り道。
本丸虎口。戦国時代の城跡の面影が残ります。
諫早城の本丸。奥には忠魂碑が建っています。
本丸にある大クス。樹齢600〜800年といわれ西郷氏の時代から諫早城にあったものだそう。
本丸にある高矢倉跡。西郷氏の時代には本丸の四隅に高矢倉があり、たくさんの矢狭間がある高い塀に本丸は囲まれていたとのこと。
本丸にある高矢倉跡から見た諫早市街。
本丸の忠魂碑の裏には西郷氏のあとの諫早城主 諫早氏(龍造寺氏)が祀った藤原明神と高城明神があります。右側の亀の塔は7代 諫早茂晴、左側の亀の塔は8代 諫早茂行が建立したもの。
諫早城の本丸西側には土塁などの遺構がかすかに残り雰囲気はいいですね。
本丸に残る土塁。
本丸西側にある虎口は本丸の搦手口になります。
本丸の下から見た搦手口。ここを登れば本丸に出ます。
本丸を取り巻く帯曲輪。公園整備により幅が広くされましたが、武者走りと言われ往時はもっと狭い通路でした。
諫早城の搦手口。現在は土橋になっていますが昔は非常時に外せる橋がかかっていたそうです。
南側に残る土塁。夏草が生い茂りますが、いい高さで残されています。
石塁が残る箇所もありました。
本明川を挟んだ向かい側にある諫早城の二の丸。慶厳寺になっています。
サッカー観戦の前に久しぶりに登った諫早城。服が汗でびっしょになりましたが、昔気づかなかった山城の遺構を見つけることができたり楽しかった。
西郷氏が好きな武将ということもあり何度行っても飽きない山城ですね😆💕