鹿児島県曽於郡大崎町假宿にある胡摩ヶ崎城に行ってきました。
胡摩ヶ崎城は鎌倉時代の初めに肝付氏により築かれたといわれ、南北朝時代には南朝方として大隅で活躍した楡井頼仲の弟 楡井頼重が拠点としました。
1357年 楡井頼仲、頼重兄弟は胡摩ヶ崎城で挙兵しますが、北朝方の畠山氏、祢寝氏らに攻められ、頼重は戦死。兄の頼仲は志布志に逃れ大慈寺で自刃しています。
上写真は西側から見た胡摩ヶ崎城の山。
胡摩ヶ崎城の周辺図。大崎小学校の西に聳える南北に縦長の丘陵が胡摩ヶ崎城です。丘陵の南麓に胡摩ヶ崎城の標柱が建っていますが、登り口は北側の集落から入り、南に尾根伝いに進むルートになっています。
胡摩ヶ崎城の縄張り図(鹿児島県の中世城館跡より転載)。本丸の広い丘陵と堀切を隔てた尾根側にある曲輪2から構成されている山城です。城のまわりには犬走りがついています。大崎町には犬走りのある城跡が結構ありますね。
胡摩ヶ崎城の標柱。奥の山が胡摩ヶ崎城の本丸。
本丸の丘陵南側を取り巻く犬走り(せまい通路)。
北側の集落にある胡摩ヶ崎城の入口から南に進むと、畑となっている大地に出ます。この先をさらに進むと胡摩ヶ崎城に行けます。
畑を抜けると両側が崖の細い尾根道があります。この先が曲輪2になります。
曲輪2。南北に細長い曲輪、道の左側は土塁のように高くなっています。
曲輪2に鎮座する早馬講。
曲輪2の虎口。左側の土の高まりはやっぱり土塁に見えます。この先には曲輪2と本丸を分断する堀切があります。
堀切から見た曲輪2の虎口。
曲輪2虎口から堀切の南東方向に下る空堀のような道がありました。遺構かはわかりません。
本丸と曲輪2を分断する堀切。大堀切といっても過言ではない幅の広さでした。左側の切岸は本丸。
本丸虎口脇の本丸の切岸。
本丸虎口。かなり立派です!枡形のように左に折れています。
さらに虎口。
虎口から入った本丸南側あたり。本丸の中心部はこの先を進みますが中央は竹藪がすごいので、右側(西側)から進むといいでしょう。西側のルートであれば途中にあるたて堀も見逃しません。
本丸西側にあるたて堀。大きいたて堀で迫力あります。
本丸の中心部。竹藪になっています。正面奥の凹みは本丸南東にある堀割。
本丸南東にある堀割の先端。右が土塁のようになっています。
本丸南東の堀割。竹藪になっている凹みの部分が堀割です。
本丸の南側先端。崖になっています。
胡摩ヶ崎城本丸から南側の眺望。
胡摩ヶ崎城の西側の犬走りに鎮座する水神講。
東側から見た胡摩ヶ崎城の遠望。
南北朝時代に激しい攻防が行われた胡摩ヶ崎城。本丸は竹藪になっていますが、立派な虎口、たて堀、堀切など見ごたえのある遺構が随所に残る山城でした😊