鹿児島県霧島市横川町にある横川城に行ってきました。横川城は鎌倉時代に横川氏によって築かれ、戦国時代には真幸院(現在のえびの市、小林市)の領主 北原氏の傘下となり、城主は北原伊勢助、新助父子でした。北原氏の勢力圏は真幸院だけかと思ってたら大隅の横川、栗野あたりまで支配してたとは、昔はかなり勢力があったんですね🤔 さらに北原氏の家督問題に介入した日向の伊東義祐が馬関田右衛門佐を娘婿にして北原氏の家督を継がせ北原氏を乗っ取ると、伊東氏の勢力がこの大隅まで一時期ありました。伊東氏すご!ww😁 ただし、島津義弘、歳久に攻められ横川城主の北原伊勢助、新助父子は奮戦むなしく自害し堅固な横川城も落城しています。
横川城の縄張り図。横川城はシラス台地を利用した南九州特有の群郭式山城になります。城域は広く各曲輪は大規模な空堀がめぐり圧倒されます。
横川城の登口。
主郭と曲輪②の間の堀切。
主郭。北側に分厚い土塁が巡ります。
曲輪②。
主郭と曲輪②の間の堀切。
主郭南西隅の切岸。
主郭西側の空堀A。
曲輪③と曲輪④の間の空堀B。
曲輪③の土塁。
曲輪④から空堀B越しに見た曲輪③。
曲輪③から空堀B越しに見た曲輪④。
曲輪③と曲輪⑤の間の空堀C。
曲輪③の切岸。
曲輪⑤の切岸。
曲輪⑤から見下ろした空堀C。
曲輪④と曲輪⑤の間の空堀D。
曲輪⑤の入口。
曲輪⑤。
曲輪③北西の空堀E。
曲輪⑤北側の空堀F。
曲輪⑤と曲輪⑥の間の空堀。
主郭にある説明板。
横川城の位置。