ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

穂北城(宮崎県西都市)

宮崎県西都市穂北にある穂北城です。伊東四十八城の1つで城主は伊東氏の重臣 長倉藤七でした。1577年の伊東氏の豊後落ちの際に城主の長倉洞雲斎がこの城で島津氏を食い止め、伊東義祐を豊後に落ち延びさせます。

穂北城の縄張り図。城は深い空堀で区切られた6つの曲輪が残ります。公園として整備されているのは説明板がある曲輪2のみで、あとは竹が倒れたり藪化していました。曲輪3と本丸にあたる曲輪1は土橋でつながり虎口があります。

曲輪4北側の空堀

曲輪4と曲輪3の間の空堀

曲輪3と曲輪6の間の堀切。びっくりするほど高さのある堀切で迫力あります😳

曲輪2西側の切岸。

曲輪3と曲輪2の間の堀底道。

曲輪3と曲輪2の間の空堀

曲輪2。唯一この曲輪だけが穂北城跡公園として整備され説明板があります。

曲輪2と曲輪1の間には土塁があり二重空堀になっています。土塁と曲輪2の間の空堀

二重空堀の土塁。

曲輪1と土塁の間の空堀

曲輪1北西隅の切岸。

曲輪3と曲輪1の間の空堀

曲輪3と曲輪1をつなぐ土橋。

空堀から見た曲輪3と曲輪1をつなぐ土橋。

曲輪1の虎口。


曲輪1虎口脇の土塁。

曲輪2からの眺望。

説明板。

穂北城の位置。一ツ瀬川の東岸に築かれています。