生目古墳群の台地南東端にある跡江城です。南北朝時代の1336年南朝方の瓜生野八郎右衛門尉が跡江城に拠って挙兵しますが、北朝方の伊東祐持、土持宣栄らの攻撃を受け落城しています。上写真は東側から見た跡江城の丘陵。跡江城は山の中にきれいに遺構が残されています。
地形図。本丸をL字に囲むように大規模な空堀がめぐり迫力があります。本丸の空堀側には掻き上げ式で築かれた分厚い土塁が残ります。
跡江城の入口。ここから入ると本丸北側の空堀に出ます。
本丸北側の空堀。左が本丸。
曲輪②。左は空堀。
曲輪②から見た本丸北側の空堀。
空堀から見た本丸北側の切岸。
本丸を囲む空堀。L字の曲がり部分。
本丸西側の空堀。左が本丸。奥には土橋の形状のものがあります。
本丸を囲む空堀を曲輪②から見たところ。
本丸。
本丸北側の土塁。
本丸北側の土塁。
本丸西側の土塁。
本丸西側の土塁。
土塁上から見た本丸西側の土塁。
外側から見た本丸西側の土塁。
曲輪①。
曲輪①から見た本丸方面。
本丸を囲む空堀から見た曲輪②の切岸。
本丸西側の空堀にある土橋から曲輪②につながる部分。右の切岸は曲輪②。
土橋と曲輪②入口。
曲輪②入口。
曲輪②。
曲輪②西側にある一段低い曲輪。
曲輪③。藪化している。
跡江城の位置。