宮崎県日南市にある伊東四十八城の1つ、酒谷城に久しぶりに行ってきました。酒谷城はもともと飫肥城主の島津豊州氏の城で伊東氏と島津氏の飫肥城争奪戦による戦で飫肥城の出城として西側を防衛する役割がありました。伊東祐兵が飫肥城主に返り咲くと酒谷城も伊東方の城となり伊東家の名軍師で猛将である山田匡得宗昌公が城主となりました。酒谷城はシラス台地を利用した南九州型城郭です。近年、日南市により案内板や説明板が設置されました☺️
酒谷城の縄張り図。(酒谷神社にある説明板より)
丘陵上の中央に東西を横断する堀底道が通っており、北と南に分断された曲輪間も堀切で分断する縄張りとなっています。これは酒谷城の特徴でもあります。堀切道はキレイにされていますが、各曲輪内部は草が生い茂り荒れていて未整備状態です。
酒谷城の登り口です。ここの長い階段をあがると酒谷城の曲輪8にある酒谷神社に出ることができます。
曲輪8に続く長い階段。往時は階段は無かったので切岸の高さを実感できます。
酒谷神社が鎮座する曲輪8。ここに酒谷城の縄張り図の説明板があります。
曲輪8。
曲輪8と曲輪5の間の堀切。
曲輪9、10。
曲輪7と曲輪9の間の堀切。個人的には酒谷城の中で1番好きな堀切です!
丘陵の中央を東西に横断するする空堀を利用した堀底道。
曲輪7。
曲輪7入口。
曲輪7内部。
曲輪7から一段高くなっている曲輪6入口。
曲輪6内部。
曲輪6。
曲輪5と曲輪4の間の堀切。
曲輪6と曲輪4の間からの堀底道。
曲輪2、3の丘陵。
曲輪2と曲輪3の間を通る堀底道。
曲輪3入口。
曲輪3内部。
曲3南西側を巡る土塁。
曲輪3西側を巡る土塁。
曲輪2。
曲輪2内部。
曲輪2と曲輪1の間の堀切。
曲輪1へのスロープ状の登り道。
曲輪1入口。
曲輪1内部。
コの字型をした曲輪1の出っ張り部分(南東)。重厚な土塁も巡らされています。
曲輪1南東を巡る土塁。
曲輪1南東土塁。
酒谷城登り口にある説明板。
国道220号沿いにある酒谷城の看板。
酒谷城の位置。
酒谷城は城の形状がほとんどそのまま残されており、曲輪内が整備されていないのがちょっぴり残念ですが、やっぱり日南市の中でも最高の城跡だと思いました。