ゆめのある子応援日記

日南市移住、れろのブログ

伊東氏

石塚城主 伊東祐武の墓

宮崎市大字浮田の妙円寺跡石塔群の中に、石塚城主の伊東祐武の墓があります。門川伊東氏である伊東祐武は応永年間に石塚城を築いて城主となり石塚伊東氏と呼ばれました。石塚城に攻めてきた島津氏の軍勢を撃退しています。 1418年 伊東祐武は本家である都於…

長嶺城(宮崎市大字長嶺)

宮崎市大字長嶺にある長嶺城に登ってきました。 長嶺城は伊東氏の家老だった長倉能登守の居城です。長倉能登守は伊東義祐に謀反を起こした武将としても知られます。 長嶺城の位置。サンホームの向かいの小山が長嶺城です。南には細江城のあった細江神社があ…

海野藤十郎の墓

日南市東郷の福谷地区には伊東祐兵の家臣 海野藤十郎の墓があります。 戦国時代に現在の宮崎県の大部分を領して伊東氏の全盛を築いた日向国主 伊東義祐。 1572年 木崎原の戦いで伊東義祐は島津氏に大敗し伊東48城の一部の家臣団が次々に島津氏に寝返り、国を…

伊東義祐と稲荷山(宮崎市)

宮崎市月見ケ丘にある稲荷山公園。 『今日ぞ見る 稲荷の山の紅葉の 青かりし色は松の村立』 1561年秋、宮崎から飫肥城攻めに向かう道中、赤江の町から稲荷山を見た伊東義祐が詠んだ詩です。伊東義祐が西都の都於郡城から鵜戸街道を南下し赤江に入った時に目…

飫肥城

日南市飫肥にある飫肥城。飫肥藩主伊東家5万1千石の居城です。戦国時代にはこの飫肥城をめぐり島津氏と伊東氏の争奪戦が繰り広げられました。 岡本氏が作成した飫肥城の縄張り図を転載。飫肥城はシラス台地を深い空堀で区画して独立した丘陵(曲輪)を造り出…

伊東祐実と油津堀川運河

日南市楠原の報恩寺跡伊東墓地にある飫肥藩5代藩主 伊東祐実の墓。 飫肥藩5代藩主 伊東祐実は薩摩藩との境界争いである牛の峠論山の勝訴、油津堀川運河の開削、日向灘沖大地震の被害を受けた飫肥城の大改修など多くの功績を残しています。洞林(どうりん)公…

伊東祐国の供養塔

飫肥城の北にある東楽寺跡近くには1485年の飫肥城攻めで戦死した伊東祐国(すけくに)の供養塔があります。 伊東祐国は西都の都於郡城主で伊東氏12代当主。 飫肥城主 新納忠続と櫛間城主 伊作久逸が島津家臣同士でありながら仲間割れ。 伊作久逸は伊東氏に援…

伍社神社

日南市南郷町にある伍社神社。1650年 飫肥藩3代藩主 伊東祐久の外浦干拓事業の際にシヲという女性を人柱として埋めたと伝わります。 伊東家はもともと初代藩主 伊東祐兵のときに石高を多くみせていたため財政は苦しく、伊東祐久は税収を増やすために海を埋め…

伊東平右衛門の墓

日南市南郷町贄波の海岸近くに伊東平右衛門祐続の墓があります。 伊東平右衛門は飫肥城主 伊東祐兵の家臣でしたが、長倉甚兵衛、川崎又右衛門らとともに、伊東義賢(祐兵の兄の子)こそ伊東家の嫡流であり、飫肥の領主は祐兵ではなく義賢がふさわしいと思う…

山田匡得の墓

日南市酒谷にある山田匡得(きょうとく)の墓を参拝しました。 山田匡得は伊東氏の家臣で島津氏との合戦において前線で活躍し、伊東軍の猛将として島津から恐れられた武将です 山田宗昌の名でも知られます。 彼が最後に城主をつとめた酒谷城の麓に墓は祀られ…

伊東祐兵の墓

飫肥城下まつりのパレードのあとに、飫肥藩初代藩主 伊東祐兵さまの墓を参拝しました🤗 伊東祐兵の幟🥰 伊東家墓地のある楠原の五百祀神社

最勝寺跡(寺ん堂)

日南から宮崎市にいくときによく渋滞する源藤の交差点。その源藤交差点のニトリモール向かいの山に、「寺ん堂」と呼ばれる血生臭い場所があります まつり宮崎へ向かう前、日南線にて南宮崎駅で途中下車し、寺ん堂に登ってきました❗ 寺ん堂は、もともと戦国時…

於仙と成瀬伊東氏の墓

飫肥板敷の長持寺跡の伊東墓地にある於仙(おせん)の墓を参拝しました。 於仙は飫肥藩初代 伊東祐兵の次女。犬山城主 成瀬正成の弟 成瀬正武に嫁ぎます。成瀬正武は徳川家の重臣でしたが徳川幕府内の勢力争いに巻き込まれ、突如切腹させられます。 夫を失っ…

日知屋城

宮崎県日向市にある伊東48城の1つ日知屋城にいってきました 日知屋城は伊勢ヶ浜の南の半島に築かれた城で、城主の伊東祐邑(すけむら)が暗殺された場所です。隣には有名な大御神社があります✨ 大御神社からみる日知屋城の山。三方は海に囲まれ岩崖となって…

伊東義賢の供養塔

油津のまなびピアの裏にある霧島神社の山裾の山林に伊東家の殿様の墓があります。この墓は最近になって発見されたそう。 伊東義賢の墓です。 伊東義賢(よしかた)は16代 伊東義祐の孫、父は17代 伊東義益。父の義益は若くして亡くなり、義賢は幼少のまま伊…